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ただ逃げなかった記憶がほしいだけ

大好きなまんが「3月のライオン」の作中に登場するセリフで、心に残っている言葉がある。

 

「『逃げなかった』っていう記憶が欲しかったんだと思います」

 

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このセリフは、主人公が将棋でプロになってから、一年遅れでまた学校に行きはじめた理由を聞かれたときの答えの一部分。ここで説明するのは野暮なので割愛するけれど、詳しくは原作(2巻)を読んでほしい。

 

わたしはこの言葉を聞くと心臓をだれかに掴まれたような気持ちになる。逃げた記憶はなかなか忘れられない。自分に自信がもてなくなるから、逃げたことが自分の弱さになる気がする。

 

だけどもちろん、逃げてもいいこともある。

別のブログでも書いたけれど、わたしはつい最近仕事で人間関係がうまくいかなくなって、仕事の契約を解消した。ストレスで耳が聞こえなくなったり、衝動的で強い感情(苛立ちや悲しみ)をもつようになって自分がコントロールできない怖さを知った。だから、ある意味逃げることで自分を守った。これは逃げたけど後悔していないし、よく決断したと自分を誇りに思う。

 

だから、わたしにとって逃げたくないというのは、なにかをやめることではない。「逃げたくない」を言い換えると、「投げ出したくない」ということかもしれない。

きちんと判断して、それをし続けることが得策ではないから“一度その場から撤退して、前に進む“のか、面倒になったり諦めたりして“投げ出して他に逃げる“のかは、全然違うからだ。

 

 

 

春先、尊敬する人にわたしの話を聞いてもらう機会があった。わたしが、恋人との関係で悩んでいて別れようと思っていることを相談したら、「この人とこの壁を乗り越えなかったら、またどこかでその壁にぶち当たるから、わたしは今乗り越えたいと思う」と答えてくれた。わたしはこの言葉をよく思い出す。

 

わたしがこんなに悩んでいた同居人となかなか別れられなかったのは、逃げたくなかったからだ。うまくいかないことがあったら逃げてだれかに責任を押し付けてばかりだった自分を変えたかった。

だから、別れずに付き合い続けることで逃げなかったということにしたかった。でも、逃げないということは、我慢することではない。今ふり返るとよくわかる。立ち止まって足踏みをするんじゃなく、前に進もうともがくことな気がする。だからわたしは結局逃げていたんだと思う。

 

そういえば、今朝じぇんさんがこんな記事を書いてくれたのを読んだ。いろんな人の生活の仕方を読むと、とても勉強になる。

 

jnyoga.hateblo.jp

こんな風に、ちゃんと納得して、お互いが歩み寄って暮らしていけるふたりが羨ましい。いや、わたしの場合は彼が歩み寄ってくれているのに気がつかなかっただけかもしれないのだけど。

 

だからわたしはやっぱり逃げたくない。前に進みたい。